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2006年2月15日 (水)

皇室典範問題私見

 小泉首相が第二の郵政問題にしようとしていた皇室典範の改正問題は、秋篠宮妃紀子様のご懐妊という思わぬ展開で、とりあえず棚上げとなりました。今回もまた党議拘束までかけて法案を通そうとしていた小泉さんにとって、これは実のところ思いがけない助け舟だったのではないかと思います。というのも、今回は自民党内にも反対論や慎重論が多く、このまま決議まで持って行けば、党内の分裂は避けがたいと思われたからです。そろそろ引き際を考えている小泉さんにとって、それは最後の失策になるのではないかと予想していました。

 血気盛んだった(?)若い頃には、自衛隊に反対し、安保に反対し、資本主義にも共産主義にも反対していた、気分的アナーキストだった私は、当然のことながら天皇制にも反撥する気持ちを持っていました。言ってみれば、ゆるやかな天皇制廃止論者といったところだったのだと思います。それでいて例えばテレビで〈皇室アルバム〉なんて番組をやっていれば、思わず見入ってしまうし、紀宮様の可愛らしい清楚なお姿を見ては目を細め、皇太子殿下のご結婚が決まったと聞けば、素直に良かったなあと安堵し、天皇皇后両陛下がサイパンを訪れ、韓国人慰霊塔を弔問されたというニュースを聞いては感激する、まあそんなふうな天皇制反対論者だった訳です。よく考えてみれば、自分はどんな政治的党派に立つために生まれて来た訳でもなかったし、そうであってみれば、天皇制についても強く反対する理由など無いことに気付いた。ごく一般の日本人の感覚に戻ってみれば、天皇家に対する自然な親愛の情が自分の中にもあることを、否定は出来なかったのです。

 「皇室典範に関する有識者会議」(この命名もなんだかなあ)のまとめた報告書を読んでみました。この問題に対する過去の歴史も説明されていて、それなりに勉強になったのですが、どうしてもひとつ納得の行かないことがあります。それはこの問題をめぐっての政治家や評論家の発言を聞いていても感じることなのですが、天皇制の問題を論じながら、当の天皇家の人たちの気持ちにまったく配慮していない議論になっているということです。例えば、この報告書を皇太子妃雅子様が読まれたらどう感じるだろう? 自分のような下々の者でも経験することですが、結婚後しばらくして「お子さんはまだ?」と聞かれるのは、決して愉快なことではありません。最近は不妊症で悩む夫婦のこともそれなりに認知されて来て、そういう質問自体がぶしつけなものであることが、だんだん常識になって来たのは嬉しいことですが、こと天皇家に対しては、この世間の常識が通用しないらしい。通勤電車の中で見た週刊誌の中吊り広告には、こんな見出しが踊っていました、『秋篠宮さま遠慮を捨てた日』、『雅子妃その悲痛な決意』、『男女判明後の小泉vs男系派バトル』。日本を代表するマスコミの、この心ない言葉の連発は、一体何としたことか。

 有識者と呼ばれる人たちのコメントも、よく聞いてみると、ずいぶんひどいことを言っています。女性は生理があるので祭祀を司る天皇には相応しくないだとか、昔は側室制度があったので男系を守りやすかったが現代ではそうも行かないだろうだとか、皇統は世俗の権利など超越しており男女同権の例外であるだとか、女性天皇はいいが女系天皇を認めると太古の昔から続いて来たY染色体の連続性を断つことになるのでよろしくないだとか。その論調は、失礼な言い方ですが、天皇制のことを論じているというよりも、まるで絶滅危惧動物のトキやパンダのことを話題にしている言葉のように私には聞こえてしまいます。天皇家不在の天皇制論議。きっとそれは、日本の歴史に対する尊敬の気持ちや天皇家に対する自然な敬愛の気持ちが言わせている言葉ではなく、論者が抱いているイデオロギーが言わせている言葉だからなんだろうと思います。

 女系天皇反対派の主張は、神話の時代から数えて二千六百年以上続いて来た我が国の伝統を、現代人の浅はかな判断で壊すべきではないというものです。そんな愚かなことをすれば、後世の人々は現代の我々のことをどのような目で見るだろう。しかし、私はそんな議論をする人には逆に問いたい気がします、あなたがたが想像している後世の人たちというのは一体どういう人たちのことなのかと。例えば百年後、我々の子孫である未来の日本人が、あの時おかしな判断をして男系天皇の伝統を断ち切らなくて良かった、そんな回想をする日が来るのだろうか? まじりっけのない正統なY染色体が守られたおかげで、日本人は変ることなく天皇に対する尊敬を持ち続けられた、百年後の人々は本気でそんなことを考えるのだろうか? 私にはとても想像出来ませんし、想像したくもないです、そんな子孫を我々が持つなんてことを。

 戦争という非常につらい体験を経て、日本は大きく変りました。しかし、それでも天皇制は残ったのです。戦後、天皇は人間宣言を出され、象徴天皇という位置づけになった。昭和の御代から天皇家は側室を設けることをしていませんし、お妃も民間から迎えられるようになった。そういう天皇家であればこそ、我々平成の世の民草も、新しい時代の中で開かれた皇室に対して親近感を持てるようになったのだと思います。とうに変化は始まっているのです。男系天皇の歴史が二千六百年続いたと言うなら、今度は次の二千六百年をかけて、家父長制にとらわれない男女平等な皇室の歴史を創って行けばいい。どう考えても、これからの皇室のあり方はその方向しかないでしょう、日本が再び父系社会に逆戻りしない限りは。伝統を守れと言うけれど、伝統というのは過去に固定して封印すべきものではない、現在生きている我々が新たに築いて行くべきものだと思います。

 象徴天皇というのは、一体何の象徴なのか? 日本という国の伝統の象徴なのか、戦後日本の民主主義の象徴なのか? 私の考えは違います。これは私の個人的な意見ですが、現在の天皇家は、言ってみれば日本の幸福な家庭の象徴なのだと思います。私たちは愛子様のご誕生を喜び、紀宮様のご結婚を喜び、紀子様のご懐妊を喜び、そして皇后様や雅子様のご病気に心を痛める。そこに自らの人生を投影してみているからです。皇室の方々には、ぜひ我々のお手本となるような幸せなご家庭を築いて欲しい、それがまず一般的な日本人が持っている当り前な感情なのではないかと思います。ですから、もしも皇室典範の改正を議論するなら、側室の問題や染色体の問題などよりもまず、皇室の方々の人権という観点から議論を始めて欲しいと私は思う。何しろ彼らは日本で一番不自由で、理不尽な境遇に置かれている人たちなのですから。

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コメント

Like_an_Arrowさん、拝読しました。

マスコミや識者たちが、失礼な発言を繰り返すのをやめさせるのは、昔の不敬罪のような法律でも復活させない限り、無理でしょうね。土台からして、我々と同じ生身の人間である方々に対して、「日本の幸福な家庭の象徴」という役割を押し付けるのは、私の考えとしては、よくないことだと思います。皇室の方々の人権を考えるのなら、天皇制は廃止すべきでしょうね。

しかしそれは古代からの日本を破壊し、革命を起すことでもあります。日本は民主国家でありながら、君主国家でもあるような、中途半端な状態が続いています。小泉首相の靖国参拝については、国民世論では、4割が賛成、4割が反対です。もし天皇制を廃止するかどうか、国民投票をすることになったら、国論が真っ二つに割れて、全国各地で、流血騒ぎが起きるでしょうね。(革命とはそういうものですが。)

私としては、「古ぼけた天皇制を廃止して、真の民主国家を再建設しよう」、という意見には、いまのところ反対です。国には建国精神というものが必須だと思うのです。アメリカならば、それは開拓者精神、キリスト教、聖書、といったものでしょう。天皇制を廃止したとして、新生日本の建国精神は、何であるべきか。

朝日など左派勢力は、それは、いまの日本国憲法(から天皇を削除したもの)だというのです。しかし私は、過去の歴史を断ち切り、共同体への愛(奉仕心)がないところでの、「個人の自由」に対する手放しの讃歌に、同調できません。個人の自由ばかりが野放図に増長して、天皇家があることによって維持されてきた日本文化は、すたれるでしょう。(和歌とか着物とか敬語とか、その他多くの文化が。)

なんて書いてしまうと、いかにも右派的ですけどね。(笑)

私としては「ソフトランディング」でよいと思います。徐々に徐々に、皇室を一般市民に近づけていって、最終的に、平和的に消滅させる。(あと100年くらいかけて。)それは中国・韓国と日本が、互いに相手を脅威とみなさなくなり、誰もが自然に行き来できるようになるまでの道のりと、同じ裏表の関係にあるだろうと思っています。(天皇制などが必要なのは、いざというときに、国を愛し、国を守ろうという気持ちを忘れさせないための、国家象徴の装置でしょうから。)

投稿: mori夫 | 2006年2月18日 (土) 13時24分

mori夫さん、ご丁寧なコメントをありがとうございます。

とても興味深いご意見だと思いました。と言うのは、たいていこの問題について意見を言う人は、天皇制賛成派か反対派のどちらかに色分けされるのが普通じゃないですか。ところが、mori夫さんの文章は、どちらの立場に立つ人の書いたものなのかよく分からない。たぶん読む人によっては優柔不断な意見だと思う人もいるのではないかと思います。もちろん私の文章もその点は同じです。

この問題に関しては、テレビや雑誌などで意見を表明しているいわゆる論客と言われる人たちばかりでなく、我々のような一般人でさえ、旗幟鮮明と言うか、立場をはっきりさせている人が多いように感じられます。よく言えば意見が明確、悪く言えば相手の意見など聞かない。だからもし現実の法案として提出されれば、それこそ国論を二分する問題になってしまうと思います。

しかし、よくよく考えてみれば、100パーセントの天皇制賛成論者も反対論者も、そうはいないのではないかと思うんですよ。誰でも多少は天皇制が偏頗なナショナリズムにつながることの可能性については危惧しているし、逆に天皇制を廃止してしまったら日本の伝統や日本人のアイデンティティが失われてしまうかも知れないことについて心配している。程度の違いこそあれ、誰もがその両面を持っている気がする。だとすれば、自分をどちらかの立場に決めつけて、相手を攻撃するのも虚しいことではないでしょうか。

で、自分の気持ちを素直に省みてみれば、私のアイデンティティの中に天皇制が占める割合というのは、とても小さいと思うのですが、では天皇制をすぐにでも廃止した方がいいかと言えば、正直それにも抵抗感がある。日本の歴史や文化や伝統の底流に天皇制があったことは確かですし、それに対する尊敬の気持ちもある。その気持ちを現在の天皇家に対する気持ちに重ね合わせてみた時、自然に思い浮かんだのが「幸福な家庭の象徴としての天皇制」というものだったんです(笑)。たしかに<ぬるい>意見ですよね。非常にシビアな議論が巻き起こっている中で、もしも真面目にこれを主張したら一斉攻撃を受けそうです。ただ、どうなんでしょうか、普通に生活する日本人の気持ちとしては、案外平均的なところを突いているのではないかとも思うのですが…

投稿: Like_an_Arrow | 2006年2月19日 (日) 11時25分

 国連の先住民の10年作業部会では10年間にわたって宣言文の単語をpeopleにするかpeoplesにするかでモメてきました。(通称バトル・オブ・エスといわれています)

 これはけして批判ではないのですが、哲学スタンスの人はけっこう「日本文化」という表現を使うのでしょうか?

 私たちの立場だと「日本」という定義でモメ「文化」という定義でモメるような気がします。「幸福な家庭」となるとジェンダー論議も入ってたいへんでしょうね。

投稿: lera | 2006年2月28日 (火) 11時59分

leraさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

「幸福な家庭の象徴としての天皇家」という表現は、いろいろ物議を醸しそうです。自分の気持ちとしては、とても自然でしっくり来る発想なのですが…。でも、mori夫さんにも指摘されたように、もしも人権の観点から考えれば、天皇制は廃止するのが合理的ですよね。「人権」と「皇統」、どちらの価値を上と見るか。私自身としては、ほとんど結論は出ているのですが、これだけは個人の価値観の問題ですからねえ。誰もが納得する解答なんてある筈がない。「幸福な家庭」という言葉に反応してしまうジェンダー論というのも、自分にはなんだかしっくり来ません。ちょっと判断停止です。申し訳ありません。

投稿: Like_an_Arrow | 2006年3月 1日 (水) 23時54分

 ま、丸山真男も「戦後日本政治」という表現を使っていますから…本来なら明治政府起源の政治とすべきところなのですが…

 文化を語るときに「日本」と使うと、琉球、八重山、奄美、アイヌ、ニブヒ、などは入らないのかなぁ、「まつろわぬ」東北も入らないかもしれないし、徳川シンパティーの江戸人も入らないし、蓮如軸の北陸も入らないなか、などと思ってしまうわけです。

 「幸福な家庭」に関しては、家庭の定義が求められるわけです。「家庭」「家族」は自民党や石原都知事が大好きなコトバで、彼らなりのヒエラルキー形成に用いられます。

投稿: lera | 2006年3月 2日 (木) 12時20分

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