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2005年12月14日 (水)

科学と科学をかたるもの

 今朝の新聞に、また米国の宗教事情に関する記事が載っていました。米国民の55パーセントが文字通り神による世界の創造を信じていると言っても、その「創造説」にもいろいろなバリエーションがあるようです。新聞の記事が紹介していたのは、インテリジェント・デザイナーという新しい意匠をまとった現代ふうの創造説が、このところ米国内で急速に勢力を伸ばして来ているという話でした。

 「インテリジェント・デザイナー」。私が言うのも何ですが(笑)、いかにもあやしげなネーミングですね。要するに聖書の創世記が記しているような一見して非科学的と分かる創造説とは違って、生命の進化や人類の誕生には、創造主と思われる存在者の何かしら知的な計画が関わっていたとする仮説だそうです。これは従来のダーウィン流の進化論では説明のつかない生命の現象に対して合理的な説明を与える、科学的な仮説なのだそうです。米国の科学者の中には、これを(宗教的な信念としてではなく)科学的な真理としてとらえている人も多いのだそうです。

 私は典型的な文系人間で、科学的な素養には乏しい者ですが、それにしてもこういった言説は、ホンモノの科学的精神にとってはひどい冒涜であると感じます。よく科学的な真理ということが言われますが、科学は究極の真理というものを手に入れようなどとは考えない。その時代に手に入る実験結果や観察結果をもとに、より確からしい仮説を組み立てて行き、後世の批判を待つ。例えば相対性理論や量子論だって、それは現代における最も確からしい仮説に過ぎないのだと思います。この謙虚さがあるからこそ、科学は多くの科学者たちが協力し合って、ここまで進歩して来たのでしょう。

 生命の進化にインテリジェント・デザイナーが関わっていたという言い方が、どんなに真実らしく聞こえようとも、それは良心的な科学者の探究するものとは縁もゆかりも無いものです。しかもそれは宗教的な真理と呼ぶにも、あまりに不純な思想だという気がします。明らかにそこには政治的な意図が見てとれるからです。インテリジェント・デザイナーの信奉者たちは、現在もっとも確からしい科学的仮説である進化論を否定しようとしている。しかし、ダーウィンの進化論に不寛容である宗教は、きっと他の宗教に対しても不寛容であるに違いないと思います。

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コメント

Like_an_Arrowさん、こんにちは。mori夫です。

私もこの記事は読みました。日本で言えば「天皇の先祖は天から降りてきた(天孫降臨説)」のようなものでしょうか。自分や自分の同胞の出自(≒identity)を、猿などと同列にされるのが、気分的に我慢ならないのでしょうね。(日本の右派にはアメリカ人のような狂信がない分、まともですけど。)

実は私も、進化論を完全には信じていないです。(笑) これは、まだひとつの仮説にすぎず、「証明された科学理論」とは言えないからです。(アインシュタインの相対性理論は、光速度の観測者によらない不変とか、高い重力場での空間のゆがみ等が、実験や観測によって確認され、その理論としての強度がゆるぎないものになっています。原子爆弾という「成果」にも結実しています。)

進化論は、完全な間違いではないが、いちばん重要なものが、まだ抜け落ちていると思われてなりません。これについて、この場をお借りして、ちょっと書かせてください。

例えばコウモリは、飛翔する際に5万~10万ヘルツの超音波を毎秒数回ないし数十回も断続して発し、その反響を耳で聞いて、障害物や食物などの方向位置、獲物の動きや大きさなどを探知します。進化論によれば、突然変異によって、このような特徴を持つ動物が現れたのだと説かれています。(獲得形質は遺伝しないから。)

しかしまったくデタラメな遺伝子の置き換えや追加により、このような動物がいっぺんに数十匹現れるとは、どうしても思えないです。もちろん進化は長い年月のなかで起こるので、このような能力が一足飛びに獲得されたとは思いませんが。

進化を推進する未発見の原動力が、何かある気がします。それがなければ、「まったくランダムな突然変異」から、人間のような高度に進化した生物が出現してくるとは、とうてい思えないです。

と、ここで追記ですが、進化論を強力に支持する人は、この、「人間は高度進化生物である」という言い方に、ほとんど例外なく反発してきます。人間だってミミズや大腸菌と何も変わらないのだよ、と。このとらえ方に私は違和感を感じます。(だから私もアメリカの創造論者と同じなのかも知れませんが。(笑))

生物とは「快」を求める存在です。そして「快」とは、自分を生きながらえさせ、子孫を残すことに通ずる、世界の《受容感覚》です。これが生物の進化に、何の影響も与えていないとは、私には考えられないです。

生物の個体同士は、見えない「テレパシー」のようなものを発しあっていて、ある一定水準以上の《受容感覚》は、仲間の動物に、いっせいに広まるのかも知れないです。それが同じ《突然変異》を複数の生物の遺伝子に発生させるのかも知れない。(トンデモ空想にすぎないですけど。)

こういう、いわば《シンクロ現象》がなければ、バラバラに発生する突然変異が、ひとつの方向性をもった、生物種の変容になっていかないと思うのです。

投稿: mori夫 | 2005年12月17日 (土) 17時46分

mori夫さん、コメントありがとうございます。

なんだかタイムリーにこんな記事が新聞に載ったので、思わずこんな感想をブログに書き込んでしまいました。書いてから思ったのですが、宗教的な問題に不用意に口を出すのは、あまり好ましくないことかも知れませんね。(笑)

私は科学には疎い人間ですが、科学的・実証的なものの見方や、それを追究する科学者の態度には、いつも敬意を持っています。私も哲学をやるような人間なので、つい一足飛びに究極の真理を発見したいと思ってしまうところがあります。でも、私の考えでは、科学的な真理というのは常に仮説なんですね。mori夫さんは、『(進化論は)まだひとつの仮説にすぎず、「証明された科学理論」とは言えない』とおっしゃっていますが、それこそが進化論が科学の本道を行っている証拠ではないかとも思うんです。

インテリジェント・デザイン説には、特定の宗派的な意図が感じられて、どうも馴染めないところがありますが、mori夫さんの『進化を推進する未発見の原動力が、何かある気がします』という言葉には、素直に同意出来ます。きっとあるんです、それは。ただ、私にはそれをどのような形で、科学の仮説にすればいいのかが想像が出来ないんです。キリスト教の人格神のような存在者が、生命の誕生や進化をつかさどっているとは信じられませんし、何かそこには<宇宙意志>のようなものが存在していると言ってみたところで、それは科学の仮説にはなりえない。『未発見の原動力』がどのように『発見』されるか、想像もつきません。

同じような問題は、人間の心や自我の問題にもありますね。脳科学の研究が進んで、人間の心が解明される日が来るかも知れない、そんな言葉を聞くことがありますが、私には<心の解明>ということのイメージがわかない。自我の存在なんてことになると、もっと分からない。自分が生きているあいだに、それを解明したいという強烈な欲求だけはあるのですが…

mori夫さんのコウモリの話やシンクロ現象の話を読んで、今西錦司さんの進化論のことを思い出しました。(あ、深く突っ込まないでください。昔ちょっとだけ読んだことがあるだけなので。笑) 進化論というのは、やはりそれを論ずる人の個性が強く表れてしまう分野なんでしょうね。最近はもうこの分野で新しい仮説も出なくなってしまったんでしょうか。自分が不勉強なだけかも知れませんが、なんとなく科学の世界も全体的に元気が無いような気がしないでもありません。

投稿: Like_an_Arrow | 2005年12月18日 (日) 01時19分

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