« こころのありか | トップページ | 直接民主主義を考える »

2005年10月 5日 (水)

インターネット霊園構想

 インターネットの世界には何でもあります。筆者の興味で言えば、哲学的な記事を掲載しているホームページやブログは数えきれないほどありますし、芸術や趣味の世界でもほとんど考えられるジャンルは何でも、その道の専門家とおぼしき人が薀蓄を披露している。犯罪すれすれの危険なサイトがあるかと思えば、不治の病に冒されつつ懸命に生きている人の日記が公開されている。まったくインターネットの世界は、人間社会の縮図、というよりも人間社会そのものと言えるほど多様性に富んでいます。ただ、ひとつだけ実社会にあって、インターネット上には無いものがあることに最近気付きました。それはお墓です。

 なんでそんな奇妙なことを思い付いたのかと言えば、自分が気に入っていたブログやホームページが、ある時を境にばったり更新されなくなり、そのうちに何時の間にかそのサイト自体が閉鎖されてしまっている、そういう経験がある想像をさせたのです。もしかしたら、名前も知らないこのサイトの主は、病気や事故で亡くなってしまったのかも知れない。それで暫く更新もされずに放置されていたものが、やがてプロバイダへの料金支払いが滞って削除されてしまったのかも知れない。実際の社会なら、どんなに知己の少ない人でも、生前ゆかりのあった人が集い、ひっそりとしたお葬式くらい行なわれるでしょう。しかし、インターネットの世界では、ある日突然親しかった人が消えてしまい、行方不明者は永遠に行方不明者のままなのです。

 インターネットが普及して、まだまだ日が浅いこともあって、この世界ではそうしたことへの配慮が充分ではない、いわばまだ社会インフラが整っていないのだと思います。インターネットに自分のページを持つということは、この世界に対して何か自己の存在をアピールしたい、それはまさに生きることの欲求そのものであると思います。それを読んだ人も、お互いに顔も名前も知らない同士ではあるけれども、時として実生活の中での人間関係よりも濃密な人間関係を持てたりする。バーチャル空間などと言われますが、そこには決してバーチャルではない生きている人間の喜怒哀楽が渦巻いています。インターネットのプロバイダである企業は、単にサーバーのハードディスクを賃貸ししている訳ではないのだと思います。

 そこで私の提案です。インターネットのプロバイダ各社は、もしも契約者が亡くなった場合には、そのことをサイト上で告知し、そのページを永久に保存し公開し続けるというオプション契約を作ってはどうでしょう。もちろん費用がかかることですから、ある程度の一時金を契約時に預かることが前提になります(いわば永代使用料です)。これが題してインターネット霊園構想です。ここに入ったサイトは、追悼者のコメントの書き込みはあるかも知れませんが、基本的に更新はなくなる訳ですから、それ以上ハードディスクを圧迫することもない。きれいに区画された霊園のホームページから、いつでも訪れることが出来るようになる訳です。ちょっとブラックなアイデアでしょうか? もちろんバーチャルな世界のことですから、実際に亡くなった場合でなくてもいいんです。どんなに小さくても自分が生きた証をこの世に残したいというのは誰もが持つ自然な望みですから、案外ニーズはあるような気がするのですが。


(この文章は、最近しばらく更新が止まっているmori夫さんのブログ「不合理ゆえに我信ず」へのトラックバックとして書かれました。(笑))

|

« こころのありか | トップページ | 直接民主主義を考える »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/6257776

この記事へのトラックバック一覧です: インターネット霊園構想:

« こころのありか | トップページ | 直接民主主義を考える »